ヒトリゴト 2017年9月

ずっと、途中にいるような気でいた。
いろんな場所を転々として。仕事も人間関係も転々として。そうやって、生きてきて。
ずっと同じ場所、ずっと同じひとと一緒なんて、無理だと思ってた。
いまのことしか考えられなくて、5年後、10年後の自分がどこでどうしてるかなんて、ぜんぜん想像もできなかった。
ただ甘ったれてただけかも。
現状を見てみれば、41歳、バツイチ独身女のわたくし。
ずっとこのままではいけないと思った。先のことを考えない、みらいの自分の人生に責任を負わない生きかたはもうやめようと思った。(新しいスタートは、いくつになってからでも喜ばしいことだと思ってる)

3月でお花屋さんを辞めて、それまで22年ぐらいの間ほぼずーーーーーっとあれこれ働きっぱなしだったから、すこし休みたいと思った。休んで、会いたいひとたちに会いに行ったりして。いい時間を過ごせたと思う。
でもやっぱり働きたいんだよね。たとえば働かなくてもいいぐらいお金があったとしても、それでも社会と関わって、そこで役割を担うことで人に喜んでもらいたい。誰かの役に立ちたい。そういう気持ちが、自分にあることを知った。働くの、すきなんだ。たのしいし。

もう東京に戻ることはないのだから、他の土地に行くことも(おそらく)ないのだから、ここで生きていく覚悟を決めようと思った。
そう決めたら、前とはちがって、ひとつのところで腰を落ち着けてしっかり働きたいと思うようになった。それは、自分の居場所を自分でつくっていこうと思ったから。この土地で、地域の人たちと関わって生きていきたい。そうやって歳を重ねていきたいと、こころから思うようになりました。

この心境の変化には、金沢で出会って、いま関わっている人たちの影響が相当あったと思う。お花屋さんで働いているときに出会っていまも交流のあるお花の先生とか、21世紀美術館のボランティアで関わってる人たちとか。関わりを深めていけばいくほど、世代もバラバラないろんな人のことを知れば知るほど、ここでの暮らしをたのしいと思えるようになってきたの。

いままでは、恋人と友人が近くにいてくれれば、それだけでしあわせだったし、東京にはわたしのすきな音楽をしている人たちがたくさんいて、写真を撮っていられたから、わたしの世界はそこで満たされていて。でも恋人も親友もいない、わたしのだいすきな音楽をしている人たちもいない金沢。その中でどう生きていきたいか。。。いま真剣に考えることができて、よかったと思ってる。

そういう考えのもとに仕事を探しはじめた途端、ここで長く働きたい!と思えるところに出会うことができて、採用されました。(トライアル雇用なので、3ヶ月間はお試しです。3ヶ月後の正式雇用を目指して、がんばります!)

そこは、地域にひらかれたお店です。いろんな人が関わって、それぞれの得意なことを仕事にしてて。ものづくりもしています。美味しい料理に、音楽まである。
いまでもじゅうぶんすてきなお店。わたしがはたらくことが、お店にとってプラスになって、もっともっと発展してひろがっていってほしい。携わるひと、関わるひとがみんな、さらに喜びを得られるような。そのために、がんばりたい。

この5年間、希望をうしなうようなことばかりだった。うれしい瞬間もあったけど、希望をなくしてる時間のほうが圧倒的に多かった。「僕は死ぬように生きていたくはない」って、中村くんは歌ってて、そうありたいって思ってたけど、ぜんぜんそんなふうに思えなくなった。生きてることがしんどくてたくさん泣いた。でも、その時間も、その時感じた気持ちも、いまとなっては尊いとさえ思える。それは、自分がそうなってみないとわからないことだから。それを経験したぶん、同じような状況の誰かのこころを、想像することができるようになったんだから。

2017.9.12 16:23





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by saida_kaori | 2017-09-12 16:23 | ヒトリゴト